LAPISのニュートラルライフ

ニュートラル思考・美的感覚・自由発想。 小さなことにおもしろさを。深刻さは笑い飛ばす。 こだわらないことがこだわりの、変人目線的自己満足ブログ。

31年前のこの日


セラピスト職人 lapisのバランス生活-100410_140452.jpg 


さくらの咲く、この季節は


私にとって、とても深い意味を持つ 季節です。


1979年 4月 11日。 最愛の父が、脳内出血のため


突然 逝きました。 40歳でした。


私は、中学三年生になったばかり。


クラス替えをしたばかりの 新しい教室。


授業中に突然、別の先生が 入ってきて、


私を廊下へと連れ出しました。


父が病院に運ばれた、すぐに向かいなさい、と。


わけも分からず、近所の方の車に乗せられ、


病室に入ると、


そこには、変わり果てた姿の 父がいました。




あの日の朝は、確か


私の機嫌が悪く、


せっかく父が出がけに 私に向かって


「いってらっしゃい」と 声をかけてくれたのに、


年頃で、父が疎ましく思い始めていた私は、


振り向きもせず、ぶっきらぼうに


もごもごと「行ってきます」とだけ、告げて


学校へ向かったのでした。


それから、数時間後に、


永遠の別れが来るなんて、


誰が想像したでしょう・・・。



今で言う「過労死」です。


父は、婦人服のデザイナーの仕事をしていて、


休みは年に数日、帰りはいつも 午前様という生活の


仕事一途の 人間でした。


しかしとても家族思いで、


その数日しかない休日は、すべて


家族との旅行やレジャーに費やし、


家でゴロゴロしたりする姿は、一切見せない人でした。



趣味は、車。


その日も、私を見送ってから、愛車を洗車し始めたそうです。


母は、久しぶりの父の のんびりとした光景を


横目に見ながら、家の中で 家事をこなしていました。



ふと、


ホースから水を流す音が消え、


静かな時間が続き、


母は何気なく、車庫に出ました。


そこで見たのは、


助手席のシートを リクライニングして、


横たわっている 父の姿だったそうです。


脳出血の症状である 高いいびきをかき、


尋常ではないその様子に、


すぐに救急車を呼び、


近所の方にお願いして、


私と妹を 病院まで連れてきてもらえるよう


お願いしたそうです。



生還する可能性は、限りなくゼロに近く


万に一つ、命を取り留めたとしても、


植物状態か、もしくは かなり重い障害が 残るであろうと、


医師は我々に、説明しました。


その時、母が崩れるように倒れ、


周りの人に抱きかかえられたのを


私はただ呆然と、見つめていました。



それから、ほどなくして


父は息をひきとりました。


こういうシーンを、よくテレビで観た・・・という客観的な思い、


実感が伴わないとは、そんなものです。



それから、葬儀の準備やいろいろで、ご近所の方や


父の会社の部下の方々がすべて取り仕切ってくださり、


われわれ親族一同は、滞りなく父を 見送りました。


火葬場で、骨になった父を見たとき、


係りの方が、


「立派な仏様の 喉仏です」と 教えてくださって、


その時初めて


父がもう この世にいないのだ・・・ということを


実感したのでした。


私はあまり、泣けませんでした。


哀しみを味わいつくすことが出来なかったのです。


今から思えば、きちんと自分の感情と向き合うことが


どんなに大切なことだったのかと


あらためて、思うのです。


封印した感情は、やがて様々な形で、


その後の人生に、影響を及ぼします。



人生のいたるところでの 泣き笑い、


辛さや哀しみ、怒りなど、


それをしっかりと 味わいつくし、納得して 乗り越えていくこと。


それはたとえ、その時はのた打ち回るほどの 苦しさでも


必ずそれが 糧になるときが来る。


それが生きていくことだと 思うのです。


さまざまな感情、そのときの思い、


人間だから、持って当然です。


否定しないで、静かに自分で味わいつくすこと。


わたしは、父との この 深い後悔にも似た想いから


学びました。


どこでどのようにして、出会い


別れて、また 新しく出会うか。


いちいち意味は考えなくても、


きっと それは そこにあるから


それを受け入れようと 思うのです。


あるがままに。


そのままに。


ペタしてね



この記事へのコメント

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1. 無題

日記のタイトルを見て「もしかしてそうかな?」と思った

命日は聞いたことがなかったから

んで、内容読んで泣きそうになった。。。

会ったことないから余計にそうなんか知らんけど、会えるはずだったのに・・・っていう思いがこみ上げてきたわ

バーバの時さー、最初実感なかったけど霊柩車に乗るときにいきなり実感湧いてめっちゃ泣いたのを思い出した

ぶっちゃけ人の「死」っていうのと向き合ったことがまだ二回しかないし、まだ小さかったってのもあって当時はその感覚がよくわからなかったけど
、今は「もし自分のよく知っている人がそうなったら・・・」っていうのを考えるとすごく悲しくなる。。。

その感覚がわかるくらい歳をとったってことだ

また横浜に行ったらじいちゃんにたくさんしゃべりかけようと思った

とりまそっちは元気で毎日を過ごしてー
  • from X麺 :
  • 2010/04/12 (07:21) :
  • Edit :
  • Res

2. Re:無題

>X麺へ

そうだね、あらためて話したことは
なかったかもしれない。
毎年里帰りのたびに行く、埼玉のお墓と、
横浜の家のお仏壇の写真しか見たことのない
あなたには、実感なかったと思うし。

先日の巨人の木村拓也コーチの
ご葬儀の様子をみたの。
残された遺族の10歳の息子さんの
気丈な姿が、たまらなかった。
ちょうど私の妹も、それくらいの時に
父親を亡くしたのよね。
バーバが亡くなった時のあなたも、
11歳だった。あなたたち、兄妹はあの頃
本当に毎日枕元に、洋服を一式用意して
眠っていたよね。
いつ、呼び出されるか分からない状態だし、
お父さんかお母さんどっちかが、
いつも病院に泊まっていたし。

あの頃のことを思い出すと、
胸が苦しくなってきます。

でも、もうバーバが亡くなってから
10年経ったんだね。
おじいちゃんは来年33回忌です。
早いものです。

いつか、みんなこの世を去るけど、
生きている間の命は
大切に大切にして欲しいと思う。
それが、親の願いだから。
  • from 職人気質のセラピスト lapis-free :
  • URL :
  • 2010/04/12 (19:41) :
  • Edit :
  • Res

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北陸・福井市在住。英国式リフレクソロジーとアロマアドバイザーをの仕事をしています。こちらのブログでは公私の目線から感じる日々のよしなしごとをつらつらと書いています。

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