LAPISのニュートラルライフ
ニュートラル・審美眼・自由。 小さなことにおもしろさを。生きてるだけで丸儲け的な 超マイペースな気まぐれブログ。
何でもやさん
私は、「覚悟と挑戦」をテーマに掲げてから、
いろいろな学びを得ている・・と常々書いておりますが、
本当に、いろんなことが、次から次へとあらわるあらわる
細かなことはあまり書けませんが、
それにしても、私の仕事ってなんだろうな・・・と
ふと考えたりして途方にくれる時もあります。
「こんなこと、なんでしなくちゃいけないの」
「それは、私の仕事じゃないわ」
など、
よく聞きます
中には、
「そんなこと、できません」
「する必要ないと思います」と
すっぱり
断る方もいらっしゃいます。
どれも、
いい悪いと判断するつもりはありません。
何故なら、
人の選択は、その人自身のものであるから
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「なんで、私が」症候群【勝手に命名】
自分に責任が及ばないように、ひたすら細心の注意を払い、
ふりかかりそうな火の粉は、
とにかく避ける
そうすることで、自分に災難が降って来るのを
免れる。
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私は、そうする人たちを、軽蔑するのはやめました
責任逃れのずるい人たち・・とジャッジするのもやめました。
そういうときこそ、
「人は人」
それは、何でもかんでも、やってもいないことまで
認めるということではないのです。
ただ、自分の目の前で起きる現象は、
意味があって起きるのだと腑に落ちた時から、
そう意識できるようになったのです。
それには理由があります。
同じ試練が私の目の前に、
何度も何度も現れるからです。
手を変え品を変え、
何回でも顔を出す。
そう、気がつくまで。笑
ゲームのステージクリアーではないけれど、
「いい加減、わかりなさい」とそりゃもう、
しつこいったら、ありゃしない
私は昔から、一芸に秀でた人に
憧れを抱いていました。
特別な才能の持ち主や、頑固な職人の技の使い手など、
ひとつの道を究めた人を尊敬するという考えがあります。
今でもそれは変わっていません。
しかし、私に起こることは、「なんでもあり」で、
その度に右往左往しながら、解決しなければならないことばかりが、
降って来るんですね。
「なんでも職人」なのかいなと
突っ込みを入れたいくらいです。
いい加減、自分の中のギフトに気付けよ おぬし
と
言われているのかなぁ・・・と
意識し始めてから、
確実に何かが動き始めているのかも・・・と
実感している日々の私です
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この記事へのコメント
1. 同感です
様々なことを乗り越え、一つでも多く経験している人の方が
セラピストの仕事にも必ず活きてくると私は信じています。
試練も時間が経てば、笑って話せたり、
そのことにも感謝出来る時が来るから、
人って凄いですよね!!!
2. 最近の若い方
「黙ってやれ!」 「 とりあえずやってみろっ!」
と
心の中でいつも 呟いています